島ゼミの軌跡 of 同志社大学 経済学部 島ゼミ同窓会 「寒梅会」

1937年(昭和12年)
1/10京都市下京区で商家の長男として誕生日中戦争勃発
1943年(昭和18年)
京都市立開智国民学校入学
1945年(昭和20年)
敗戦・第2次大戦の終結
1949年(昭和24年)
同志杜中学校入学中華人民共和国成立
1952年(昭和27年)
同志社高等学校入学(高校では「新聞部」「中国語クラブ」に在籍)サンフランシスコ講和条約発効
1955年(昭和30年)
同志杜大学経済学部入学(サークルは「水曜会」・「中国研究会」)
1957年(昭和32年)
岡谷元治先生のゼミに入り、薫陶を受ける。卒論は「太平天国革命」
1958年(昭和33年)
中国で「大躍進」人民公社設立
1959年(昭和34年)
同志杜大学大学院経済学研究科理論経済学専攻修士課程入学中ソ対立激化
1960年(昭和35年)
60年安保闘争に大学院生協議会委員長として参加60年安保闘争
1962年(昭和37年)
同志社大学経済学部助手として任用
1963年(昭和38年)
岡谷ゼミを代講・恩師・住谷悦治先生、第14代同志社総長に就任
英書・購読担当
1964年(昭和39年)
この頃より「日中友好協会同志社支部」「同志社平和の会」で活動新幹線開通・東京オリンピック
1965年(昭和40年)
岡谷先生の留学により、岡谷・天野ゼミのチューターに
1966年(昭和41年)
専任講師 特講「中国経済の諸間題」・一般演習担当「文化大革命」始まる
1967年(昭和42年)
3月、西村則子と結婚。
精思館2階教室で島ゼミ開講。第1期生は65年度生22名。4グループ編成。
初の夏合宿は北小松。「ゼミ通信」発行。EVEに研究展示と中国喫茶で参加。先生「アジア経済論」担当(03年まで)
初のゼミ旅行は中国(山陰)。卒業文集発行、岡谷ゼミとの合同研究会。ゼミ論報告会など劉少奇・鄧小平など失脚
1969年(昭和44年)
6月より学園紛争で12月まで学内立ち入りできず。それでも2・3期生は幹事の努力と全員の協力で「月餅」などを借り毎回ゼミを続けた。3期生は「中国文化大革命」をテーマに8名の小規模ゼミ。
ゼミ論報告会も学外で。
同志社大学教職員組合書記長学園紛争・同志社でも長期化
1970年(昭和45年)
この年からゼミは2年次後期から2年間に変更。テーマも中国以外にアジア問題を導入。(5期生)
この頃授業妨害多し。教室で集団で襲われたことも。(4期生)中国国連議席回復・70年安保闘争
1972年(昭和47年)
目中国交回復があって第1次志望者が70名を越え面接中止
この年のみ、書類選考で決定。(7期生)ニクソン訪中・日中国交回復
1973年(昭和48年)
ゼミ通信「パンダ」発行。この頃から夏・冬の北小松合宿が定着
経済学部教務主任(以後3年間)中東戦争とオイルショック
1974年(昭和49年)
教授に昇進。
大学院進学の中嶋慎治君(7期生・現松山大学教授)チューターに(79年12期生まで)
1975年(昭和50年)
同志社創立IOQ周年・恩師岡谷先生定年退職ベトナム戦争終結
1976年(昭和51年)
内地留学によりゼミ募集せず。(75年度生)周恩来・毛沢東死去・天安門事件
76・77年(9・10期生)EVEに屋台参加華国鋒政権発足・「四人組」追放
1977年(昭和52年)
3期生・奥田宏司君(現立命館大教授)、大分大学経済学部専任講師に就任(ゼミ出身者最初の大学教員)鄧小平復活
1978年(昭和53年)
9/23ゼミ10周年と『中国民族工業の展開』刊行を記念してOB会開催
(会場)蕪庵 OB62名、現役6名参加。「寒梅会」と命名し、4年ごとの開催を決める。会長に小島正憲君(1期生)事務局長に和田博君(2期生)
同志社教職員組合書記長中国・「改革・開放」路線に転換
1979年(昭和54年)
島先生「南中国農業視察団」(京都大学)の一員として初訪中
大学院教授米中国交回復
1980年(昭和55年)
ゼミ、この年から3・4年に変更。Ⅰ・Ⅱとなる(13期生から〕深セン・廈門などに経済特区開設
1982年(昭和57年)
15期生は女子学生5名と過去最高で盛り上がる。
岡先生のご病気により「岡ゼミ」を代理担当。
10/10 第2回寒梅会開催 Ⅰ部・K23番教室でゼミ。Ⅱ部・鳳舞(総会)
事務局長に中嶋慎治君(7期生)
1983年(昭和58年)
夏 北陸寒梅会(金沢〕
1984年(昭和59年)
17期生の頃から、グループ別就職面接を実施。卒業式には2年間の活動記録を配布
経済学部教務主任(以後2年間)「改革・開放」政策推進・人民公社解体
1985年(昭和60年)
Ⅱ部のゼミも担当。(18期生)5名の小クラス
1986年(昭和61年)
田辺校地開設。2校地となる。
ll/23 ゼミ開講20周年記念・第3回寒梅会開催、事務局長に家長隆君(7期)
Ⅰ部・田辺校地見学。Ⅱ部(会場〕白鳳 OB70名、現役12名
ゼミ20周年記念名簿を刊行。
「同志社大学通信」掲載のゼミ紹介原稿を作成(18期生)
1986年(昭和62年)
大学評議員(2年間)
1988年(昭和63年)
安田幸生君(19期生)、大学院に進学しチューターに。
1995年(21期一28期〕まで。
20期生・新田綾さん、ゼミ初の交換留学で中国人民大学へ
第1回東海寒梅会(名古屋)、2回は92年名古屋、3回は96年岐阜
1989年(平成1年)
3期生・奥田宏司君、京都大学より経済学博士授与(ゼミ出身者初の学位)昭和天皇死去・第2次天安門事件・江沢民総書記・国家主席に  東欧激動・ベルリンの壁崩壊バブル経済の崩壊始まる
1990年(平成2年)
19期生石田浩・平井美香さん島先生の媒酌で結婚。ゼミ初カップル
11/17.18 第4回寒梅会 特別企画・北小松合宿
Ⅰ部・K31番教室でゼミ.小島(1期)奥村(8期〕の中国事情報告
且部・(会場〕湖月荘OB90名、現役代表14名参加上海の浦東開発計画決定
1991年(平成3年)
この頃から卒業送別会の宿泊化が次第に定着ソ連解体・東西冷戦体制の崩壊
1992年(平成4年)
学部長に就任。(94/3まで)吉林大学の招待で訪中
寺川隆司君(23期生)大学院に進学しチューターに(92-2000年)「改革・開放」の加速・深化.「 社会主義市場経済」へ
1993年(平成5年)
横井和彦君(24期生)大学院に進学しチューターに(93-2005年)
1994年(平成6年)
7期生塩野和夫君(西南大学助教授)、同志社大学から神学博士授与
8期生・大薗友和君の著書『アジアを読む地図』(講談社)を1年基礎ゼミナールでテキストに使用
11/19 第5回寒梅会 Ⅰ部K25番教室でゼミ3回生(27期)「浦東開発」報告。Ⅱ部(会場〕鶴清 OB121名、現役代表22名
1995年(平成7年)
ゼミ2回生から3年間(A・B・C)に。「歴史・杜会」コースのゼミとの位置づけもあってか女子学生も急増。
ゼミ論文は「卒業研究」に。
夏合宿ははじめて2・3年合同、約60名参加の大所帯。
1997年(平成9年)
この年から秋に新登録者のためのオープンセミナーを開く
1月、島先生還暦を迎える。4月ゼミ開講30周年。
藤井努君(28期生)大学院進学により3年ゼミチューターに加わる
ゼミ現勢3学年(29-31期)総数87名(うち女子学生25名)
11/9ゼミ開講30周年・島先生還暦祝賀第6回寒梅会 全学年から参加
(OBより183名、現役生・ゲスト合わせて230名)
Ⅰ部・島先生記念講義「ゼミ30年・人生60年」
Ⅱ部・(会場)鶴清。『30周年記念誌』刊行
(今回は11期生の尽力に負うところが大)鄧小平死去・香港返還アジア経済危機
1998年(平成10年)
26期生 宮武寛君・村上香織さん結婚(ゼミ・カップル第2号)
客員教授・趙鳳彬先生(吉林大学)を囲んで講演会・3学年合同コンパ
1999年(平成11年)
9月、島先生吉林・武漢両大学の招請で中国留学〔夫人同伴) マカオ返還
両大学で講義、資料収集など(~2000・2)
瀋陽・大連・天津・青島・北京・重慶・上海・蘇州・広州・深歴訪
この間、ゼミは西村卓教授が代担、実際は寺川・横井チューターに指導依頼(31ー32期生)新規ゼミは募集せず。
この年から「卒業研究」を学会から冊子として卒業式に配布
2000年(平成12年)
大学院進学の森広悦子さん、チューターに
この年から、ゼミは2回生秋学期からの2年半に短縮(33期生)
2001年(平成13年)
(3月)森広さんに修士学位、替わってチューターに石丸雄一郎君
33期生 「掲示板」を開設
34・35期生もこれに続く(35期生はホームページ開設) 31期生 安田智治君・肥塚泰子さん結婚(ゼミ・カップル第3号)
(10月)第7回寒梅会
総会・懇親会  (会場) 東山閣 OB・現役より140余名参加
(今回は10期生の尽力でアットホームな懇親をめざす)アメリカで同時多発テロ小泉首相訪朝・拉致問題中国、WTOに加盟「世界の工場」から「世界の市場」へ
2002年(平成14年)
(3月)石丸君に修士学位、替りにチューターに晏文さん(初めて中国人)
横井和彦君、4月より経済学部助手に就任、ひきつづきゼミ協力
20期生・内藤二郎君 神戸商大より博士〔経済学〕受領、大東文化大に就職
(9月)34期生、武甕・永島両君、中国留学
3年(34期生)初めて新装の琵琶湖リトリートセンターで合宿
(10月)4回生(33期生)初めて4泊5日で北京へゼミ旅行、長城・故宮
などのほか、中関村・蘆溝橋なども見学。中国人民大学留学中の武甕さん(34期生)とも交歓
(10月)21世紀最初の入学生で、島ゼミ最後ともなった35期生開講
新チューターに中国からの留学生・倪軍君中国、江沢民から胡錦濤体制へ
2003年(平成15年)
(3月)卒業を目前に33期生・上野仁寛君急逝
(3月)晏文さん修士学位取得
(6月)島先生、肺の悪性腫瘍発覚・急遽入院、04年3月まで休務
6月25日、事情説明・お別れゼミと記念写真
代担は学部長・西村卓教授で、実際の指導は横井助手に依頼
3年(34期生)初めて新装の琵琶湖リトリートセンターで合宿
3・4年生が横井助手の指導で奮闘、とくに4年生は、EVE参加・中国江南(上海・無錫・蘇州等)へのゼミ旅行、谷村・田中(名城大)との交流ゼミなどイラク戦争勃発・自衛隊派遣北京で北朝鮮核問題への6者会談開始SARS中国で猛威
2004年(平成16年)
(3月)島先生、卒業式に出席、34期生と、首席で修士学位を受領した倪軍君を見送る
(4月より〕島先生復職。35期生ゼミを最後まで休むことなく完遂
(秋)島先生、今学年度で退職を決意。(予定より2年繰り上げ)拉致家族8名帰国
2005年(平成17年)
横井和彦君、博士(経済学)の学位取得。同時に4月より専任講師に昇任。
(1月) 島ゼミ最後の授業
(3月)卒業式出席。35期生とともに43年勤務した同志社大学をめでたく「卒業」横井君の学位受領を壇上より見守る。
〔3月31日 定年退職の辞令交付。4月1日付けで名誉教授の称号授与
〔10月2日) 第8回 寒梅会「島先生 ご退職記念」
第Ⅰ部・記念写真 今出川キャンパス(新設の「寒梅館」前集合)
第Ⅱ部・懇親会 会場 東山閣(参加全学年からOB174名)
ゲスト・横井ゼミから11名協力参加・海外からの帰国参加もあり総計189名
(今回は前回についで10期生の尽力が中心)
〔10月〕35期生 井川達也・伊藤 優さん結婚(ゼミ・カップル第4号)「反日デモ」・靖国参拝問題などで日中関係険悪化
2006年(平成18年)
(3月)島ゼミ 寒梅会」のホームページ開設の予定