新世界遺産『四姑娘山』とその周辺(上) of 同志社大学 経済学部 島ゼミ同窓会 「寒梅会」

同志社大学 経済学部 島ゼミ同窓会

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1期生(65年度) 大橋健司

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このほど中国四川省で念願の四姑娘山トレッキングを果たすことができ、開発されて間もない中国奥地の素晴らしい自然とその社会に触れ、いくつかの新しい発見ができました。忘れてしまわないうちにと、文章にしてみましたので、寒梅会のHPに寄稿させていただきます。
書いているうちについつい量が多くなりましたので、10項目に区切り、それぞれに中見出しを付けてみました。

大橋さん4.jpg1 東洋のアルプス
2 神秘の渓谷「九寨溝」・「黄龍」から日隆へ 
3 究極のお花畑と整備された木道
4 観光地はきれいになったが
5 進む観光開発と変わりつつある農山村
6 危惧される環境破壊と乱開発(以下、次回更新の際に掲載予定)
7 原因は民族性か、かつての集団主義の弊害か
8 改革開放の遅れなのか、改革開放のゆがみなのか
9 奥地に見る“格差”
10 待たれる新しい国際経済秩序

上のどの部分も、よく中国を訪問されたり研究されたりしていらっしゃる方々には、言わずもがなの内容で表面だけを見ていると言われそうですが、野次馬の旅行メモ程度に思ってお読みいただけますようお願いします。また、間違いやら足らない部分などについてお教えいただけるとありがたいです。

1 東洋のアルプス

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四姑娘山は“東洋のアルプス”と呼ばれる山群の一麗峰で、四川省西部に幾筋も連なる山系の北部に位置する。この辺りで最も高くて有名なのがミニアコンガで7556m、スークーニャンは 6250m、他に5000m~4000m級の高山がたくさん鎮座し、我らが知る日本アルプス程度では規模・偉容ともに到底かなわない。高い峰々は氷河に鋭く削られ、U字谷が発達し、谷の底には小さめの氷河湖が数多く点在し、急峻な山の斜面にはたくさんの滝が架かる。これらがヨーロッパアルプスに似ていたことから、先のネーミングとなったようだが、本家を凌ぐという声も聞こえてきそうだ。

広大な中国には西部にチベット高原や天山山脈などの高地もあるが、氷食地形は四川省と雲南省の西部周辺に集中している。氷河のもとになる雪(雨)は、中国の場合、インド洋からと太平洋(東シナ海・南シナ海)からの夏のモンスーンによる。インド側からの風はヒマラヤの南側で雨雲をつくり高地に雪を降らせ万年雪や谷氷河をつくる。一方北側のチベットでは、山越えの乾燥した風となって、低温でも降雪は少なく、氷河を見ることはほとんどない。

ところが、このチベット高原の東端に当たる四川省や雲南省の西部では、インドシナ半島や華南・華東を越えてきた湿った気流がここまで届いて降雨(降雪)となり、氷河特有の侵食地形をつくる。故にマッターホルン顔負けの鋭鋒が北斜面の万年雪を輝かせながらあちこちで天を突き、峰と峰の間には氷河がパン生地のように谷を埋めている。また、その末端の雪解け水の滴りから流れが生まれ、急斜面を駆け落ちる幾筋もの滝となり、やがて谷川を形成していく。この息を飲むほど美しい山岳美がハイカーやロッククライマーを引きつけ、かくてわれわれもここに立つこととなった。

2 神秘の渓谷「九寨溝」・「黄龍」から日隆へ
四川省西部でも特に北東部の高山には、石灰岩質の山々が多く、雨水によって炭酸カルシュウムが溶け出したり再結晶する特有の渓谷がみられる。その代表が九寨溝や黄龍で、水底にまで白色・黄色の石灰層が形成され、湖水がコバルトブルーやエメラルドグリーンなどの五彩に輝き、随所に見られる美しい滝とともに、神秘的な渓谷美をつくっている。この見事な景観が評価され、1992年にユネスコから世界自然遺産に登録された。今この二つで年間200万人余の観光客を集めているそうだ。( 写真左 九寨溝・ 右 黄龍)


我々のツアーは、重慶から先ず飛行機で九黄空港に降り、海抜高度3000m前後の九寨溝と黄龍を観光しながら高度順化を行い、次いでバスで約390キロ南西に移動して、最終目的地スークーニャン山麓の日隆鎮に入った。この間臥龍にあるパンダの保護繁殖センターを見学し、今次ツアーの最高度通過点である 4560mのパーロー峠を越えた。

九寨溝や黄龍もそうだったが、3連泊したこの日隆もチベット族の地で、険しい山間の所々ある比較的緩やかな尾根や斜面・広い谷には、ヤクやカシミヤ山羊が放牧され、人家の近くでは裸麦やトウモロコシ・ソラマメ・野菜の畑となっていた。我々のお目当ての一つの高山植物は、道ばたや林間にも見ることが出来たが、やはり牧草地に期待通り群生していた。

3 究極のお花畑と整備された木道

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高山植物の見ごろは7月上旬、半月遅れの訪問となった我々にはあまり見られないのではと心配したが、憧れのブルーポピー(ヒマラヤケシ)をパーロー峠で見つけることができた時にまず〝大感動”、岩の割れ目に透き通る青い花びらを震わせながら咲くこのご麗人には、最高の喜びと賞賛をもって被写体とさせていただいた。(写真左)

日本で高山の花にお目にかかる時は、たいてい登山道沿いにポツポツと咲く“単品”の場合が多い。また、お花畑と言っても大小の“花の水たまり”程度に過ぎないことが多い。が、ここスークーニャンでは多種類が混じった稠密な〝一面のお花畑”。「極楽の花園はきっとこんなものでは」と同行者の一人がつぶやいたが、我々はこの自然の花の畑の真ん中で、悦楽に浸りながらお弁当を食べた。食べながら、「後にも先にこんなに豊か美しい自然の花々に出会えないのではないか」という思いがふと湧いてきた。(写真)

このスークーニャンは今年になって住民の悲願であったユネスコ自然遺産への登録を実現し、四川省内では9番目の世界遺産(自然遺産と文化遺産)となったいう。この新登録の景勝地も、先に先輩格の九寨溝や黄龍と大差がない程度によく管理されていた。自然を壊されないように、渓や尾根の入り口で一般車の進入をシャットアウトし、高い入場料をとった。観光客や登山者は観光局のマイクロバスか地元の人が牽く馬のみで移動、それ以外はすべて徒歩、カメラポイントやハイキングの適地には木道や登山道がよく整備され、各所に休憩施設・ベンチ・無料のトイレ・中国語と英語表示の案内板も設けられていた。山好きの同行者の一人が「これは尾瀬の比ではない」とつぶやいたが、延々と続く幅1.5mほどの木道には皆感心した。(写真右)

4 観光地はきれいになったが

中国の奥地を訪ねる外国人の悩みのタネの一つに、あの伝統的トイレの問題があった。しかし、今回は幸いあまり悩まなくても済んだ。特に九寨溝・黄龍では、見学ポイントごとに、適当な数だけ、しかも人が集まるところから少し離して、無料で、そしてまあまあ清潔に保たれていた。かって苦い経験をしたことのある女性軍には、有難味が大きかったようであったが、しかしこうした恩恵は世界遺産内でのことで、それ以外では、扉のないものや、仕切が腰の高さまでのものも残っていて、そんな所でも有料だっりした。やはり田舎では、こんなものかもしれないのが今の中国なのだろう。 

更に、人が集まる場所にはゴミが散らかっていることが普通であった10数年前の訪問時に比べると、今回の観光地・見学地を見る限りでは、大幅にきれいになっていた。特に九寨溝と黄龍では、80センチほどのゴミを挟む道具を持った係員が観光客の間を縫うように歩いてゴミが拾っていた。スークーニャンでも清掃員は見なかったが、ゴミは少なかった。

しかし、中国人がゴミを捨てなくなったということではどうもなさそうで、清掃員が多数雇われていれいる結果のようにも見えた。また、一部にタバコの吸い殻がかなり散乱していた場所もあり、我々をがっかりさせた。中国の男性の多くはタバコを吸う。したがって我々が訪れた自然保護指定地域は禁煙となっており、吸い殻が登山道などに出るはずがない。にもかかわらずあるのは、やはりかつての悪習の名残と思われた。

それは、保護地域以外で例えば屋台などが並んだりして人が集まる所では、やっぱりゴミが散乱し、道や地面に平気でゴミを捨てる人たちを少なからず見たからだ。世界遺産の地域では、高い入場料を取って、清掃員を雇いきれいにしているが、ゴミに対する中国人の感覚は変わっていないように私には思えた。

5 進む観光開発と変わりつつある農山村

「四川省には中国一世界遺産がある」と、奥さんが日本人のガイドのYさんは胸を張った。彼の説明を聞くと、四川の観光開発の速さに驚かされる。九寨溝では、9年前にはホテルが2軒しかなかったそうだ。それが、今や九寨溝の入り口付近の少し開けた谷間に、10数キロにわたってホテルと土産物屋が続く。「この辺のチベット人は大変豊かになった。大きな2階建てを新築し、車を2台持っている人も多い」とYさん。バスの駐車場付近で観光客を追いかけながら土産物を売っている人についても、「夏休みだから、ここでアルバイトをして学費を稼ぐ子どももいるが、豊かな家庭の子も物売りをして稼いでいる。」とも。

「中国では携帯は高いからねー」と言いながら、Yさんはその携帯を駆使して山奥からホテルなどに連絡を取り、レストランに予約などを入れていた。今回見た中国の携帯の普及には驚かされる。神秘の色合いを見せる海子(山間の湖や池)のほとりで着メロが盛んに鳴り、マナーがあるのかないのか他人が多くいる中で携帯で元気良く喋り合い、カメラ付きで盛んに写真を撮る人もあった。しかし、その携帯も観光に来た都会人のもので、現地の人が使っているのは稀であった。

ともあれ、四川省の静かな農山村や田舎町に、世界遺産に指定された結果相当量の現金が地域に落ち、観光地経済が立ち上がり活況を呈していることは間違いない。私たちは川沿いの道端でヤクを堵殺し解体している場面に出くわしたが、おそらく衣食住の大半が村の中で自給していた時代がつい十数年前まで続いていたのであろう。そのような奥地にも自動車道が繋がり、大量の商品が持ち込まれ、観光客が入り、石積みの壁を特徴とするチベット人の民家にパラボラアンテナが付けられる時代となったのであろう。だが光には陰が伴うものだ。次に私の目に映ったこの陰の部分について触れてみたい。


(以下、次回)