地方寒梅会のあゆみ(各期生) of 同志社大学 経済学部 島ゼミ同窓会 「寒梅会」

各期生別同窓会

1期生同窓会

咲き競う桜の下、“古き良き仲間”を実感!
ー39年振りに1期生祇園に集う
(08年3月29日)

幹事  大橋 健司・大鳥居則夫

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(出席者)冒頭の集合写真から(敬称略)
(前列)  西浦芳郎、大鳥居則雄、長野新一、小島正憲
(後列)上羽健司、毛利和男、丸谷龍三、島一郎、相高英俊、入谷五朗、小川正、池水正明、大橋健司

去る3月29日の午後、私たち1期生は青春をともに過ごした懐かしい「心のふるさと」京都で、卒業以来実に39年ぶりに同期会をひらきました。

会場は四条の“南座”を少し上がった鴨川のほとり『京新山』で、吉井勇ゆかりの祇園・白川通りに連なる一角、東京や富山・高松など遠来の出席者を含む12名が集い、島先生を囲みました。

いつも寒梅会で顔を合わせる常連に混じって卒業以来はじめて顔を合わせる仲間もいましたが、すでに還暦を過ぎて姿かたちは変わってはいても、みんな心は今も青春、すぐうちとけて元気で再会できたことを喜び合いました。

折からあたり一面に咲き誇る桜はすでに満開、川の畔のさわやかな柳の新芽とともに私たちの新たな「第二の青春」の門出を祝福してくれているようでした。

美しいあたりの情景に囲まれてみんなの気持ちはいっそう意気軒昂、。“生涯現役組”も“第2のお勤め組”も“リタイヤー組”も、キャンパスにいた時以上?に活き活きとこもごもに過ぎ来し道をふりかえり、また近況や自分の近未来?を語り合うことができました。

島先生も負けず劣らずで「5年前は北京オリンピックを観られるとは思わなかった」とおっしゃりながらも、40年前のゼミの講義ノートやゼミ生一人ひとりの覚え書きノートなども持参されて、当時の思い出と今日の中国を楽しく懐かしく元気に語られました。

先生が持参された2冊のノートを拝見し、「ゼミはこんな風に準備されていたのか!」、「僕のこと、こんな風に書いてあるわ?」等々、先生がゼミはもとよりゼミ生ひとり一人を大切にされてきたことをがよく伝わってきて、これが“ゼミの絆”の原点であることを改めて実感できました。

002.jpg一次会後、多忙な者は帰路に着きましたが、多数の者が残って懐かしの今出川キャンパスを訪れて、ゼミ教室のあった「精思館」(今の図書館の裏)あたりにたたずみながら修復されたクラーク館や寒梅碑を眺め、記念写真を撮りました。

さらに『わびすけ』にも立ち寄って尽きない話に興じ、さらに夜には祇園に戻って先生ご愛顧の台湾料理店「萍萍」で紹興酒で乾杯!やがて夜が更けるとともに去りがたい余韻を残しながら再会を誓って三々五々散っていきました。

素晴らしい一日を過ごすことができ島ゼミの同期会って最高です。!また逢う日までみなさんの健康と幸せを祈ります。ご協力、ありがとうございました。

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☆「掲示板」への参加者の書きこみもありますので、ぜひ合わせてお読み下さい

(文中写真) クラーク館前、京新山会場、寒梅碑前

還暦を迎えた諸君の「第二の青春」への旅立ちに乾杯!     
島 一郎

寒梅会結成から30周年を迎えた記念すべき年に、ゼミの基礎を築いた1期生の同期会が39年ぶりに開かれ、私もお招きをを受けて参加させていただきました。

何といっても私にとって1期生ははじめて接するゼミ生たち、何もかも一からの出発で、たどたどしい足どりでゼミ生に負けないよう毎回必死に準備し、彼らと10歳ほどしか違わないという青春を共有する長所?を活かして同じ目線で島ゼミの原型を創ってきたことがついきのうのことのように思い出されます。

何しろまだ日中の国交回復もなく、おまけに「文化大革命」が荒れ狂っていたうえ、学内でも学生運動の路線対立が一段と厳しさを増した時代でしたが、ゼミ生たちはそれぞれ個性を活かしながらよくまとまり、開講早々の「ゼミ通信」の刊行、北小松や善峰寺での合宿、岡谷ゼミとの合同でのEVE参加、私の新婚旅行のあとをたどっての中国(実は山陰地方)へのゼミ旅行、卒業記念文集の発行など、すべて自主的に盛り上げてくれました。

中にはハンセン氏病患者さんへの救済運動に熱中するあまり一時学校から姿を消すゼミ生もいて心配して四国から駆けつけたご両親ともどもに手分けして探し回ったこともありました。

こんな青春を過ごした1期生たちが、はや還暦をむかえたとは、まことに歳月の流れの早さは夢のようです。その間に総勢20名ほどの1期生の中には、道半ばで早逝した伊藤雅彦くんや、音信の途絶えている数名の仲間があるのは残念ですが、この日集まったのは12名のなかには、寒梅会の常連に混じって卒業以来ほとんど顔を見なかった人たちと再会できたのもうれしいことでした。

当日の模様は幹事の大橋・大鳥居くんが書き記している通りですが、私がもっとも心強く感じたのは、みんながそれぞれ全力投球して歩んできた道に自信をもち、これで人生をリタイアするのではなく、その実績の上に立ちさらに何かを求めて「第二の青春」を歩み始めようとする意欲にあふれていることでした。

そんなみなさんから強い刺激を受けて、折から桜花爛漫に咲き乱れる中を病身の身の程もわきまえず、私も含めた「第二の青春」への旅立ちに心の中で乾杯を重ねながら楽しさ一杯に飛び回った一日でした。

永世幹事(?)の大橋・大鳥居両君、ご苦労さま。みなさん、ありがとうございました。

35期生同窓会

颯爽と最新鋭35期生の同期会(1月20日)

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去る1月20日夕刻、島ゼミ最後の卒業生である35期生の同窓会が京都市内の「かごの屋」で開催されました。

卒業以来はや2年近くたってそれぞれが大きく成長し、社会人としての自覚と自信を身につけた半面、古い同窓生とはまたひと味違ってまだ学生時代の若々しい雰囲気が活き活きとそのままに伝わってくる楽しい同窓会で、大いに近況や思い出話に花が咲き、お互いに励まし合って、つい時間のたつのも忘れてしまう一刻でした。

皆さんの健闘とご活躍を祈ります。(島)


島ゼミOB・OGの皆様始めまして、35期生の家弓正史と申します。

初めて掲示板をゆっくりと見たのですが、島ゼミの歴史と絆の強さに感動してしまいました。

私は、名古屋にて会社員をしているのですが、東海寒梅会などに次回から参加させていただけたら嬉しく思います。

大先輩ばかりですので、恐縮してしまいますが、1月末に35期生の行った同窓会の様子を書き込みたいと思います。

一次会は、しゃぶしゃぶ食べ放題、飲み放題でおおいに語り合い。二次会は、カラオケでしたが同期一の芸達者生駒君に火がつき笑い声が絶えませんでした。

島先生、横井先生は、一次会から二次会の途中までいてくださいました。島先生は、私たちが卒業した頃よりも顔色もよく、少しふくよかになられたような気がしました。

我々35期生同士はこれからも仲良くしていきます。いつか先輩方とお話できる日がくることを楽しみにしております。失礼致します。
(家弓 正史)

(当日の参加者)

井川達也、井川 優、細川沙弥香,峠 展海、生駒義博、
家弓正史、中野 愛、服部浩幸、奥村知史 ,福本知子
島 一郎、横井和彦

5期生(69年度生)有志同窓会

12月9日(5期生)雨に煙る嵐山で

猪股 伸夫

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さる12月9日、京都嵐山渡月橋の旅館「花筏」でゆったたりと温泉に浸かり、ゆっくりと京料理の昼食を味わいながら、島先生との楽しいひと時を過ごすことができました。

大野(東京)甲賀(静岡)、西、上園、星野、猪股(関西)以上6名の5期生有志にとっては、現役時代、叶わなかった先生とのゼミ旅行が三十数年後に実現し感慨無量、2次会3次会と盛り上がり、すっかり夜もふけて奥様の許へ無事お送りするまで、あっという間の半日でした。

奥様、お待たせして申し訳ございませんでした。島先生、お付き合い下さいまして本当にありがとうございました。我々の心にまた新たに先生との青春の歴史を刻むことができました。
島先生万歳!青春万歳!島ゼミ万歳!!!

星野  徹            

9日の土曜日は長時間にわたりお付き合いいただき、ありがとうございました。

当初の計画では、雨に煙る嵐山で露天風呂に浸った後、懐石料理に舌鼓を打ちながらゼミ旅行気分を満喫。記念撮影をして15時過ぎには京都駅で散会のはずでした。

ところが、「山福」「喜仙」などよく通った居酒屋の回顧談やお持ちいただいた在学中の調書などから一際話がはずみ、その余韻が覚めやらぬまま、京都駅に着いたところで2次会に。

さらに居酒屋で呑みながら同志社ソングや演歌・フォークを歌うだけではあき足らず、カラオケ屋での3次会までに。あっという間に時間が過ぎて、結局散会は20時過ぎ。

先生は驚くほどお元気な様子ながら、あまりの長丁場にハラハラドキドキものでしたが、休み明けの掲示板に力強いコメントを拝読して正直ほっといたしました。

学生時代味わえなかった合宿・ゼミ旅行気分を満喫できた一日でした。また次の機会を楽しみしております。くれぐれもご自愛下さい。

(出席者)島 先生、上園 一生、甲賀 久二西 秀夫
大野 満生、星野 徹、猪俣 伸夫

5期生有志同窓会

紅葉が美しく映える宇治川畔で
(07年 5期生の集い・12月8日・花やしき浮舟園)

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島先生を囲む5期生の集い               
幹事 星野 徹

去年に引き続いて今年も5期生有志で、去る12月8日(土)先生のご自宅近く宇治川のほとりで島先生を囲む集いをもちました。

3年前にご自宅にお見舞いに伺って以来、お会いするたびに体調が良くなっていかれる印象でした。

ところが、今回はちょっとお疲れが重なっているようだということで、先生のご自宅近くで、同志社で教鞭をとった山本宣治ゆかりの「花やしき浮舟園」で開きました。

奇しくもこの日は「大東亜戦争」の開戦日ということも重なって、先生からは戦時中「勝ち抜く少国民」として過ごしてきた軍国主義教育の残酷な思い出と、侵略を準備する「治安維持法」に最後まで反対を貫き、凶弾に倒れた山宣にまつわる興味深い話に熱弁を振るっていただきました。

今後も、島先生には健康に一層ご留意いただき、今回はかないませんでしたが、また、ご一緒にカラオケを楽しめるような機会を持ちたいものと祈念しております。

晩秋の宇治川を肴に一杯
幹事 猪俣 伸夫 

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島先生のご体調維持を最優先条件としつつ、周到な準備をいたしまして、12月8日のお昼間、5期生有志で、恒例の先生を囲む飲み会を実施しました。

場所は、先生のご自宅から、程近い宇治の『花やしき浮舟園』。温泉に浸かって、美しい紅葉に映える宇治川の流れと京料理を肴に、美味い酒を心ゆくまで楽しみました。

先生からは、「花やしき」と同志社大学両方にゆかりの人、『山宣』の思想、信念、生き方などについて、集中講義をして頂きました。

島先生、ご参加いただきまして有難うございました。
大野夫妻、上園君、西君、星野君、楽しいひと時、有難うございました。またお会いしましょう。

山本宣治(1889-1929)『山宣ひとり、孤塁を守る。だが私は淋しくない。背後には大衆が支持しているから。』

10期生有志同窓会

多士済々!10期生の会

早瀬 孝行

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島ゼミ10期生同窓会が11月24日、大阪は南のがんこ寿司にて盛大にいや大人の雰囲気でおごそかに?行われました。

11名参加の予定でしたが急遽仕事の都合により、和歌山の橋本の名士の佐々木君と酒井君、銀行マンの金君が欠席となり、8名の参加の開催となりました。

我々10期生は島ゼミ35期の中で島先生も認める1・2位を争う出来の悪いゼミ生でした。当時他に行く所のない連中が島ゼミに拾っていただいた感が多分にありました。就職もオイルショックの不況で有名企業に入るものはわずかな厳しい時代でした。それが幸か不幸か今回の出席者8名のうち5名が小さい会社ながら社長をやっています。

全く想像の付かないエステ業の施君・不動産業よりもPTAが忙しい中村君・スポーツショップよりもだんじり命の江君・プリント業よりも幹事が忙しい新村君・ホテルマンというよりは18歳年下の嫁さんに尻にひかれる召使役の斉藤君・福祉業の傍らテニス・ウオーキングで体を鍛える東堀君・ハム業より釣りにのめり込む森山君、皆仕事に趣味に一生懸命がんばっている近況や島先生の話題や、よる年波に勝てずお互いの病気のを励ましながら(笑)、短い限られた時間を楽しく過ごしました。

そして気分新たにまた会う日を期してそれぞれ家路につきました。全員が50歳を超え、すっかりおっさんになり切ってしまいましたが、それはそれなりに味がでてきたようで、「みんながんばってんねんなあ」と、お互いに感じいったことでした。

今回島先生に来ていただこうかなと思っておりましたが、たて続けに北陸寒梅会・東海寒梅会とあり断念し、次回の折は京都まで出向いてお誘いいたしたいと思いますのでよろしくお願いします

(出席者)
東堀 克己,江 豊治,森山 博夫、斉藤由紀夫、
中村 稔、施 治平、新村 明男,早瀬 孝行

07年 10期生同期会
(07.12.1大阪 がんこ法善寺店 )

個性派が勢揃い、いつまでも尽きない話題

幹事 早瀬 孝行

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2007年12月1日午後5時、大阪ミナミの「がんこ法善寺店」で10期生の同窓会が開かれた。

師走の道頓堀界隈は人の波でごった返し活気に満ち溢れ、我が10期生個性派集団にぴったりの場所であった。

今回は島先生にはこの半年あちらこちらのミニ寒梅会におでかけになっていてお疲れの事と思い、声をかけなかった。

25名全員に案内状を送付、数名の近況報告もあり住所不明で戻る者はなく、出席者数は11名であった。

東京からわざわざ駆け付けてくれた小林君、夕方6時には帰宅、健康生活を心掛ける中村君、同窓会にはいつも遅刻して「早うせ~や、セ~君」と酒井君に言われる施君。実直なサラリーマン生活の王道を行く金君、突っ込みのキツ~イ東掘君、ほんわか阪上君、光輝く頭とともにトークで雰囲気をメッチャ明るくしてくれる佐々木君、同窓会皆勤賞森山君、学級委員のような新村君、それに私、早瀬と10期生個性豊かな メンバーが揃った。

新村君の乾杯の音頭で宴会は午後5時に始まった。まもなくがんこ法善寺店長が東川副社長(S54法学部卒)からの差し入れワインを持って挨拶に。

一同この後輩の気配りに礼を述べた。がんこの小嶋会長、志賀社長、東川副社長とも同志社OB、いつもお世話になり、ありがたい。

宴会は始まったが、我々の年代になるとついつい話題は健康の話から。脳血栓で倒れた誰君は今は元気に仕事をしているとか糖尿で療養中の誰君はクルマが運転できるほど回復したとか、出席メンバーも胃潰瘍だの痛風だの、高血圧だの、それをまた詳 しく解説、アドバイスする者まで出る始末。それでも亡くなった者はまだいないのでまあ良しとしよう。

「暗い話はやめて明るい話題にしよう」との新村君の一声でそれからは島先生のお元気な様子や、学生時代に戻って楽しかったそれぞれの思いの丈をしゃべりまくった。

大学卒業して29年も経って相変わらず言いたい放題でワイワイやれるのはいいものだ。2時間30分の一次会はあっと言う間に過ぎ、若いお嬢さんのいるクラブの2次会会場では学生時代にはやった曲を歌って盛り上がり、深夜まで皆で楽しんだ。

来年2008年12月は京都で舞子さんを囲んで10期会をするという約束をして「それまでみんな生きていようぜ」との合い言葉で帰路についた。

(追記) 「ミニ10期生の会」

去年の12月に10期生の会をしてまだ4ヶ月しか経たない春3月、10期の仲間・三砂君の福岡から札幌への転勤の激励会を兼ねて、大阪の南のがんこに9名が集まり、「ミニ10期生の会」が開かれました。

三砂君は田辺三菱製薬に勤務していて、このほど新設のジェネリック(後発医薬品)部門の札幌の責任者として赴任することになりました。

最近このジェネリックをよく耳にします。近年の医療費の高騰を受けてやっとジェネリックを扱うように大手医薬品メーカーが動きだしたところです。

先発医薬品メーカーは新薬開発にかかった膨大な研究開発費のコストを回収するため後発医薬品を否定していた面もありましたが、アメリカの後発医薬品の全体の医薬品に対する占有率60%に比べ、日本の10%の現状から見て、最近日本でも膨大になった医療費を効率的に運用するためしだいにジェネリックを重視する流れが顕著になってきているなってきている、とのかれの説明は大変説得力があり、私個人も、病院にかかることがあれば「ジェネリックお願いします」と医者に告知したいと思います。

本人3割負担のこの折、効能もほとんど変わらなくて、価格が半分ほどのジェネリックにすることで出費を抑えることが大事になってくるでしょう三砂くんのご健闘・ご活躍を祈ります。。

(参加者) 新村・江・東堀・佐々木・酒井・森山・施・三砂・早瀬