35期勢揃い(01~03) of 同志社大学 経済学部 島ゼミ同窓会 「寒梅会」

教えるとは希望を語る事.png

1期:1965年度生(22名)67/4-69/3

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わがゼミの第Ⅰ期を飾るに相応しく、議論にも課外活動にも若者の熱気を感じさせた活発なクラス。さして年齢もちがわぬ私とは半ば友達づきあい。
一升瓶片手に吉田山で相撲をとり、放歌高唱したこともありました。

北小松・善峰寺での合宿・ゼミ通信や卒業文集、それにEVE研究発表など実に多彩な活動を自主的にやり、わがゼミの基礎を築いてくれました。ゼミ旅行は私のハネムーンのあとをたどって中国(山陰)へ。(島)

クセの強い奴とナマコみたいなわけのわからない奴が大勢集まった1期生のゼミ。
中国のことは先生にまかせておいて、俺たちのゼミなんやから楽しくやろうやないか」で、コンパ・合宿・EVEへの参加・ゼミ旅行等々、毎月なんやかやと外で集まった。

島先生ともよう付き合っていただけ、先生の世界観・人生観や人間性をおおいに学べた。
そんなこともあってか、ゼミはサボるけど飲む所には顔を出して喋りまくる奴もいた。
でも、教室では何を勉強してたんかな一?
中国は文革のはじまりで大変な頃でした。
(大橋健司)


2期:1966年度生(22名)68/4-70/3

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わがゼミの次男坊は受難のクラス。
とくに4回生になった69年の6月から!2月までは大学紛争によるバリストで学内へは一歩もたちよれない有様。ゼミのホーム・グランドは和菓子屋月餅」2階の天井部屋でした。でも幹事はじめみんなの協力で、ほとんど欠かすことなくゼミを続けられたのはまことに立派。三井寺での合宿をも含め大学立法や大学民主化について夜遅くまで議論したことも幾度かありました。(島)

当時、全国の大学は「学園紛争」で大きく揺れ、同志社大学も例外でなく、そのさなかにありました。とうとう4回生の新学期より、今出川キャンパスが全共闘派に封鎖されてしまったのです。
授業のない毎日。しかし助教授になられていた島先生から、学外でゼミを開かないかとの呼び掛けに応えて、多くのゼミ生が参加しました。会場は今出川通り寺町西入る、和風喫茶「月餅」。奥の座敷を教室にして、毎回熱心に発表一討論をしました。今では貴重な体験となりました。
(和田博)


3期:1967年度生(8名)69/4-71./3 

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ゼミ開始直後から封鎖にまきこまれた3期生は、わがゼミ最小8名のクラス。おそらく「文化大革命」を真正面からとりあげたことたが敬遠されのでしょう。

でも少数精鋭で団結は抜群。毛沢東や劉少奇の論文をとりあげて喫茶店でゼミを開いたことが思い出されます。最初淋しがっていたゼミ生諸君も、しだいに家族的雰囲気に満足。伊豆へのゼミ旅行を頂点に密度の濃い盛り上がりをみせたゼミでした。(島)

中国の事がいろいろ知りたくて、中国の社会主義経済に興味を持って、そして当時中国は文化大革命の最中の混乱期、日本も大学紛争のまっ只中という不透明な時代、そんな中でのゼミは、半分近くは喫茶店での学外授業でした。

第3期生は、島ゼミ開講以来最小の8人のクラス。考え方は各人各様、人数は少ないが個性豊かな仲間が集まり、若い島先生のもと、先生の人柄、熱意を直に感じ、家庭的な雰囲気の中で、不思議と和気あいあいの思い出の多い2年間を過ごしました。(大谷康二)