35期勢揃い(07~09) of 同志社大学 経済学部 島ゼミ同窓会 「寒梅会」

教えるとは希望を語る事.png

7期:1971年度生(27名)72/9-74/7

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この年日中国交回復をうけて1次募集に70余名が殺到。その中からえりすぐった精鋭によるゼミの議論はすごく活発で時間延長もしばしば。課外活動もよくまとまり、合ハイ、ゼミ通信「パンダ」発行、旅行(山陰)、卒業文集など多彩。コンパでの熱っぽい「島ゼミ小唄」の調べが今でも耳に焼きついています。そんな雰囲気のなかで、夏・冬のゼミ合宿も久々に復活。最後まで青年らしい熱気にあふれた、印象に残るクラスでした。(島)

第7期生は27名という大所帯でした。それは1972年に日中国交回復が行われ、にわかに中国ブームが起こったために、ゼミ志望者が7O名を超えるという超人気ゼミになったためです。それだけに多士済々の人材がいました。
今思い起こしても、勉強ばかりしていた家長君、性書ならぬ聖書を読みふけっていた塩野君、コンパになれば同志社小唄で座を賑わしてくれた高田君、兄貴のような存在であった片山君など、ほんとうに面白いゼミであったと思います。(中嶋慎治)


8期:1972年度生(23名)73/9-75/7

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とても陽気でサッパリした雰囲気のクラス。でもゼミで粘っこい議論をしたことが幾度もありました。

前年復活した合宿もすっかり定着.ソフトーボールで37 才の私が、諸君を完封(?)したのを覚えていますか。卒業直前にロッキード事件発覚。関連企業に就職が決まっていて、青い顔をした人もいましたね。


この頃は私も若かったからでしょうか、諸君のホコリまみれの下宿を訪れて、熱っぽく一夜語り明かしたことがよくありました。(島)

ベトナムでアメリカが敗北した1975年、社会主義経済のロマンを実感。しかし一方には現実の厳しさもある・・。そんな風に社会を見る大切さを、島先生の結論を押しつけないリードのおかげで学べたのではないでしょうか。

歴史はうつろってもそれは変わりません。民衆のタバコ「新生」をくゆらし歌う先生の顔は、いつもみんなを励ましていました。そして今も。(滝本純)


9期:1973年度生(27名)74/9-76/7

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OBの院生・中嶋慎治君をチューターに迎えてのクラス。いわゆる「島ゼミ3奇人」はじめ、メンバーには個性派がズラリ。最初はゼミ発表でも脱線が多く、どうなることかと気をもみましたが、EVE参加やゼミ新聞の発行などをつうじて、次第に結束もかたくなり、卒業後もよく集まりました。


ゼミ旅行は金沢。ドカ雪に見舞われ、何度も転んでガタガタ震えながら喫茶店で一日カンヅメになったことを思い出します。(島)

日中国交回復、毛沢東の死、四人組の粛清と私たちの島ゼミ在籍時は正に激動の時代でした。ゼミでも今後の中国如何と白熱した議論が交わされ、しばしば授業後にまで及び、やがて先生を囲んでの乾杯会へと発展いたしました。

EVEにはラーメン屋を出店しましたが、「全員人民服を着よう。」という意見に先生は断固として反対され、「世の軽薄な中国ブームに乗っかってくれるな.」とおっしゃったことが鮮明に印象に残っております。
(奥田充)