35期勢揃い(04~06) of 同志社大学 経済学部 島ゼミ同窓会 「寒梅会」

教えるとは希望を語る事.png

4期:1968年度生(19名)70/4-72/3

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紛争は一応おさまったものの、まだ余韻が色濃く残るキャンパス。授業中に襲われてあわやゼミ生と乱闘かと胆を冷やす場面も。
でもゼミの内部は最初の紅一点を交えて和気あいあいで、コンパやゼミ旅行(四国)などでは各自が存分に個性を発揮。これがゼミ本番でもっと活かせられなかったのが残念。(島)

クラス紹介を引き受けたものの、実は当聴の記憶がほとんどありません。島ゼミにとって始めての、しかも唯一の女性であったため、(島ゼミは女性をとらないという噂があった)私の方に若干の壁があったり、サークル(中国研究会)と、ゼミの記憶がごちゃまぜになっているせいかもしれません。

でも学園紛争が色濃く反映した「月餅」での授業、はしごして歩いた飲み会は楽しくなつかしい想い出です。学内は紛争、中国は文革のただ中、「大地の子」の世界と、私のゼミは嵐のように駆け抜けたという印象です。(雨河敏子)


5期:1969年度生(22名)71/4-73

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この年からカリキュラムがかわって2年後半からのゼミ。はじめて中国以外のアジア問題も研究テーマにとりいれました。
この学年は紛争時の入学生で、先生方の間でまとめるのに一苦労という評判でしたが、幸いわがゼミには明るく元気のいいゼミ生たちがあつまり、北山を歩いたり、ときに夜を徹して飲み語りあかすなど、この頃よく云われた「断絶」を感じさせない和やかなムードがありました。(島)


「島先生」と言えば「酒」と「阪神タイガース」だ。大学紛争の影響で、昼間の講義が十分に受けられなかった我々5期生にとって、先生から徹底指導を授かった「夜のゼミナール」の記憶は強く残っている。そして「タイガース」。先生は筋金入りの虎キチ。この事を知ったのは、私か卒業しプロ野球の取材をするようになってからだ。

毎年いただく賀状にタイガースヘの激励、落胆、希望が込められている。昭和60年以来、優勝から遠ざかっているが先生の酒量が落ちないうちに「美酒」をご一緒に…と願っている。
(上園一生)


6期:1970年度生(24名)72 /4-73/3

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学園もようやく落ち着きをとり戻したのはこの頃から.このゼミには地味ながら、着実に努力するタイプの学生が多く、研究発表も充実し、とても気持ちよく2年問を過ごすことができました。
でも残念だったのは、せっかく諸君が企画したEVE参加が、教室の都合でオジャンになったこと。それに合宿ができなかったこと。ゼミ論報告会は学館会議室でやりました。(島)

今思い出しても、何とも不思議なゼミでした。他の学年の島ゼミと異なり、ゼミ合宿やEVE参加も遂に不発に終わってしまいました。でも私にとっては、あの島ゼミとの出会いの後、アジアに対する興味が急速に広がり、タイに6年も駐在する⊂とになりました。

どちらかというと地味なクうスでしたが、ゼミのコンパは参加者が多く、いつも盛り上がっていたように思います。そして二次会は「静」。あのころは本当によ<痛飲しました。先生も若かったし、我々も若かった。
(後藤光伸)