35期勢揃い(31~33) of 同志社大学 経済学部 島ゼミ同窓会 「寒梅会」

教えるとは希望を語る事.png

31期生:1996年度生(27名)97/4-00/3

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真面目で勉学意欲旺盛な諸君も多く、よくまとまったクラスでしたが、全体としては議論がやや苦手であったようでその点いまひとつ盛り上がりを欠いた点が惜しまれます。その面で私の指導力の足りなさを問う声もあり、大きな反省課題ともなりました。

その点をのぞけば各班の発表も手堅く充実している者が多く、安心してみんなに任せておけるゼミだったと思います。(島)

第31期生は、27名。香港の中国返還と時を同じくして、意欲を持つ、いい奴ばかりが集まった。そして卒業して7年……内容まではなかなか思い出せませんが、和気あいあいとしながらも、時には熱い議論……先生を中心としたアットホームな雰囲気は今でもすぐ思い出すことができる。
4回生の後半は、島先生が在外研究で不在……さびしい思いをしましたが、3名のチューターの皆様と助け合って、無事学業を成す?ことができたのであった。イチロー先生万歳。(石川賢一)


32期生:1997年度生(23名)98/4-01/3

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一人一人を見れば好漢揃いであったのに、ゼミ全体では最初から異常に欠席が多くて全体としての纏まりや連帯感がやや薄いようで、正直なところとまどいを感じながらよくまとめきれなかったのが実感です。

しかも3年後半の一番大事な時期に私が留学のため、寺川・横井両チューターや幹事の諸君に余計に迷惑をかけてしまいました。けれども教室を離れて個々の諸君と小人数でゆっくり語り合うチャンスは多々あり、真剣に人生を語り合ったことなどがなつかしく思い浮かんで来ます。この年から労作「卒業研究」は合本して卒業式に配布されることになりました。(島)

私たち32期生は、思い返せば島先生に迷惑ばかりかけていたように思えます。欠席者が常時多く、ある時島先生が怒ってしまい、その日はゼミが途中で打ち切りになってしまった、という事もありました。また、島先生が中国へ行かれたという事もあり、横井先生をはじめチューターの方々にも迷惑をかけてしまったと思います。
しかし、合宿などで次第にまとまっていき、最後の方にはみんなで白熱した議論ができるようになりました。就職活動中には、ゼミ生で島先生の研究室に行き、就職活動や将来の事について語り合い、ひとりひとりの話しを真剣に聞いてくださいました。

私の個人的な事ですが、卒業後5年間の一般企業勤めを経て、今年(2006年)4月から大学院修士課程に入学することになりました。引き続き中国について研究します。入学の報告を島先生に伝えると、すごく喜んで頂けました。島先生に教えていただいた事を忘れず、これから頑張っていこうと思っています。(奥 康太)


33期生:1999年度生(33名)00/9-03/3

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この年からゼミは3年秋学期から2年半に短縮。 やる気溢れた多士済々が集まってつぎつぎに手が上がり報告よりも議論に時間をかけたことが印象的。それだけに合宿やゼミ旅行なども進んで企画し、ゼミ充実のための提言もあり、ついに以前から懸案の中国へのゼミ旅行が初めて実現しました。その昔、中国へ自由にいけなかった頃、せめて日本の中国(地方)へと行ったことを思えばみんなと万里の長城にのぼった気持ちは感無量です。
パソコンでのゼミ「掲示板」開設もこの年から。ただ最後に大事な仲間の一人上野君が急逝したことがまことに悔やまれます。(島)

「授業中は美術館、授業が終われば動物園」この通り、私たち33期生のクラスは授業中は良くも悪くもお行儀の良いクラスだったと思います。いろんな人格がいる中で「活発な議論」を展開させる難しさを知った場でした。その一方で、授業が終わったあとは仲がよく、事あるごとにつるんでははしゃぎまわっていました。寒さに凍えた鴨川河川敷のお花見、夏の合宿では花火をくわえて走り回るお猿さんもいました。発表の準備と称しては下宿に集まり、お隣さんに怒鳴られるほど、バカ騒ぎしていました。
そんな中に、私たちが今や失ってしまった大切な友人がいたことを私たちは決して忘れません。これからも彼とともに。
(折原 加奈)