35期勢揃い(13~15) of 同志社大学 経済学部 島ゼミ同窓会 「寒梅会」

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13期:1978年度生(20名)80/4-82/3

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この年より、ゼミは再び3回生からになりました、この学年、在籍者が少なかったため、20名の小クラス。そのためか、いちだんとまとまりもよく、各班の発表もディスカッション形式をとりいれるなど工夫がみられました。

教室外では、スナック「エル」でママの人気を独占した豪の者や「青い山脈」の熱唱でみんなをうならせた者など多士済済。ともかくよく学びよく遊んだクラスでした。ゼミ旅行は卒業直前に北陸芦原温泉と金沢へ。(島)

13期生は、メンバー20名と少々大所帯だったと思う。
学生時代、同志社だけは学園紛争の名残があり、期末試験が在学四年間のうち二回も中止となりレポート提出になった時代です。

普段のゼミでは全員特に変化はありませんでしたが、いざレポートだ、試験だ、コンパだ、となると別人かと思うほどの結束力がありました(特にコンパ。これも先生のお陰?)。卒業ゼミ旅行は、金沢経由芦原温泉と記憶しています。

行き先がどこだったかより、夜の酒とタバコの煙がなつかしい。(澤井 利和)


14期:1979年度生(26名)81/4-83/3

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この年、私は岡ゼミとかけもち。岡ゼミはおとなしくしく小じんまりまとまっていたのに、わがゼミは始まって以来のヤンチャでにぎやかなクラス。この先どうなるかと私を心配させた学生も一人や二人ではない筈です。それだけに私もみんなと接触する機会も多く、よく遅くまで話しこんだものです。でもヤンチャな分、ゼミでも活気があって、独創的で人に聞かせる発表が数多くみられたのはサスガでした。(島)

わが14期生は先生日く「稀にみるやんちゃなゼミ生」の集まりで、メンバーも遊び人、体育会系、苦学生、堅物まで、「多士済々」。ユニークな発表をする者、酒飲んで絡む者(絡まれた者も)、先生を困らせた者など公私に手を焼かれた事も度々かと思います。

夏・冬2回のゼミ合宿は、先生を疲れさそうと「狙い打ち」したソフトボール、夜は酒を飲み大騒ぎ、そして名論文発表ありと、今でもゼミ仲間との懐かしい思い出の一つです。
(佐々木優)


15期:1980年度生(27名)82/4-84/3

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5名の女性軍がいとも元気で威力を発揮したクラス。

それに刺激されてか各班が競って、ようやく軌道にのりはじめた中国近代化の現状を発表。終って班ごとの祝杯に招かわたことも幾度かありました。あの「静」でフォーク・ギターにあわせて合唱した、いく晩かが思い出に残ります。ゼミ論合宿のあと、北陸の温泉でうちあげ、卒業式には島ゼミではじめてホテルでの「謝恩会」を開いてもらい、大いにテレたのを思い出します。(島)

1984年に卒業、日々の仕事・生活に追われ、十数年。今、ゼミを振り返ると…。楽しかったような、まとまっていたような、いなかったような。

真面目ではなかったが、そう不真面目でもなかったような、目的をしっかり持っている人もいたが、探索中の人も多<いた感じで、一人一人の個性がバラバラ。でも程々にミックスされ、バランスがとれていた15期生でした。
(和田徹)