35期勢揃い(19~21) of 同志社大学 経済学部 島ゼミ同窓会 「寒梅会」

教えるとは希望を語る事.png

19期:1984年度生(25名)86/4-88/3

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開講20周年を迎え、また経済発展が軌道に乗り始めた。
中国への関心も高まって、多くの志望者が集まりました。その中から選ばれただけあって、やる気に満ちた個性豊かな学生の集まった活気あるクラス。
教室にはいつも若さと熱気が溢れていて、とても印象的でしたゼミ旅行は豪華バスにゆられて東尋坊から山代温泉へ。学生生活の最後をみんなでこころゆくまで楽しみました。(島)

19期生のゼミは、80年代中葉の改革の進展の影響を受けてかゼミヘの応募では40名近くを数え、その難関を突破し「精鋭25名」として上々のスタートを切ったはずであった。ところがいざフタを開けてみると……。とくに、先輩からのあり難いタテコンのお誘いを断った際には、温厚な先生もついに大噴火!。

この叱咤事件を機にやる気になった19期生は、その後団結のゼミへと変貌を遂げていくことになったがこの団結力こそが山代での『ジャンケンとその御褒美』に結実していくのであった。先生、ありがとう!?(安田幸生)


20期:1985年度生(25名)87/4-89/3

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2回生の時から田辺校地が開設されたため、1年は今出川、2年は田辺、3年からまた今出川と、そのしわ寄せを最も強く受けた学年。ゼミ全体のまとまりはやや弱かったものの、個性派揃いの明るいクラスで、それが合宿での「食堂忍び込み」事件などの暴走につながりました。

またこの頃から休みを利用して中国へ旅行する人も多くなり、中国への長期留学生第1号が出て、時代の移り変わりを感じました。(島)

賑やかな個性派揃いのクラスです。私自身反省を込めて一つのエピソードを告白します。北小松ゼミ合宿時、夜中にゼミ生数人が合宿所の厨房の窓枠をはずして中に侵入し、朝食用に用意してあったご飯とおかずを平らげてしまったのです。普段温厚な島先生もこの時ばかりは、「こんなことは前代未聞だ」と合宿所の廊下に正座させ烈火の如く怒られたのを思い出します。

そんな私たちをいつも大きな心で受け止めて、島先生はエネルギッシュに授業をして下さいました。その影響は大きく、クラスの過半数が夏休みに中国大陸の土を踏みました。
(故・中嶋佳成)


21期:1986年度生(23名)88/4-90/3

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1.2回生を田辺で過ごした最初のクラス。とにかく一風変わった、いずれ劣らぬ口八丁手八丁の強者が勢揃いし、口々に珍論、迷論を展開するので、教室はいつも活気に満ち時間のたつのを忘れることがしばしばでした。この盛り上がりには、大学院へ進学し、この年からチューターに加わってくれた安田君の情熱あふれるリードが大きくものをいったことは、いうま
でもありません。(島)

それでなくても経済学部ってヤツは男の比率が高いのに、21期結成の折には、何を血迷ったかウサン苦しい野郎どもだけが集まった。どこを見回しても、男。「なんでやねん」。全員の顔に、先生やチューターの安田さんの顔にさえそう書いてある。
しかし、それ故に「明るさ」「下ネタ」という、全員が持っている武器を媒介にしてすぐに全員か近づいた。勉強はしなかった、できなかった。でも我々はひたすら、愉快な時間を過ごすことができた。
それは、先生の男を引っ張って行く力」によるところが大きかったように思う。(大地泰輔)